2012年4月7日土曜日

日和幼稚園バス 津波の悲劇・石巻


地震後、高台にあった幼稚園から海岸へ向けて送迎バスが出発した。
そのルートマップである。

下図のルート情報は朝日新聞記事に掲載されている。

石巻市日和幼稚園の送迎バスが津波にのまれた悲劇は、3月27日、河北新報社がまず報じた

幼稚園バスに津波  地震後発車、のまれる  <3月27日 河北新報>


 焼け焦げ横倒しになったワゴン車に菓子や花が添えられていた。がれきと化した石巻市門脇町。地震後、園児を自宅に帰そうとした幼稚園の送迎バスが津波にのみ込まれ、五人の幼い命が奪われた。「高台にある幼稚園に残っていれば助かったのになぜ…」。遺族はやるせなさを募らせている。

 亡くなったのは、同市日和が丘4丁目の私立「日和幼稚園」に通う4~6歳の男児1人、女児4人。
 斎藤紘一園長(66)らによると、11日の地震直後、亡くなった5人を含む12人を乗せワゴン車が園を出た。門脇町や南浜町方面に住む7人を門脇小で降ろした後、大津波警報に気づき園に引き返す途中、津波に巻き込まれた。
 園児は14日、変わり果てた姿でワゴン車の周囲で見つかった。保護者は焼け残った衣服などで子どもの身元を確認した。男性運転手は一命を取り留めた。同乗していた女性職員は今も行方不明。門脇小で降りた7人は無事が確認された。
 犠牲になった5人は大街道地区や蛇田地区に住んでいた。いつもは津波が直撃した南浜町、門脇町を通らないルートで送迎されていた。
 斎藤園長は「大きな地震が起きたら園にとどめるのが原則だ」としながらも「園庭に避難した子どもたちが不安がったり寒がったりしたので、親御さんの元に早く帰そうとした」とバスを動かした理由を語った。
 会社員の西城靖之さん(42)=同市大街道東1丁目=は次女の春音ちゃん(6)を失った。
 「子どもは大人を信じてバスに乗ったはず。それが地獄行きとは知らずに。誰かを責めても切なくなる。こういう悲劇があったことだけは記録に残し、教訓にしてほしい」


5月22日、河北新報社は幼稚園の保護者への説明会で、園側への批判噴出を報じた

園児5人犠牲 遺族に説明会 石巻・日和幼稚園 <5月22日 河北新報>


 東日本大震災で送迎バスが津波に巻き込まれ4~6歳の園児5人が犠牲になった宮城県石巻市の日和幼稚園で21日、遺族への説明会が開かれた。地震直後に園を出たバスに、職員が一度は追い付きながら園児を連れ戻さなかった対応などに、遺族から批判が噴出した。
 斎藤紘一前園長(66)や教員、バスの運転手ら幼稚園側から12人と、亡くなった5人の園児の保護者らが出席した。
 高台にある園から津波が直撃した南浜、門脇町方面に向かってバスを走らせた理由や、門脇小に停車していたバスに教員2人が追い付きながら園児を徒歩で高台に避難させなかった経緯について、遺族が質問した。
 園側は「子どもをいち早く親元に帰したかった」とバスを出した理由をあらためて説明し「職員のほとんどは防災無線が聞こえなかった」「津波が来るとは思わなかった」などと釈明した。
 遺族は事故の経過を明らかにしようと、関係者への聞き取り調査を進めている。遺族の一人は「現場付近で、助けを求める子どもの声を聞いた住民がいる。助からなかったかもしれないが、せめて救出活動をしてもらえなかったのか」と涙ながらに訴えた。
 園の説明や遺族の調査によると、バスは地震直後に園児12人を乗せて出発。7人を保護者らに引き渡した後で、津波巻き込まれた。現場付近はその後、火災が発生し5人は14日、遺体で見つかった。
 斎藤前園長は「遺族の理解を得たとは思っていないが、誠心誠意で対応していくしかないと思っている」と話した。


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河北新報社は大震災証言特集記事「その時 何が」で、5月29日、石巻市門脇町、南浜町地区の惨状を伝えた。その下段で日和幼稚園のバスの動きに言及している

廃虚の街(石巻・門脇町、南浜町地区)  <5月29日 河北新報>

 濁流に炎、惨劇次々
     犠牲者数、いまだ不明

 宮城県石巻市沿岸部の門脇町・南浜町地区は、廃虚と化した。約1700世帯が住んでいた住宅街。大津波の襲来に、大規模な火災が追い打ちを掛けた。粉々に砕け散った家、焼け焦げてひしゃげた車…。確かにあった暮らしの残骸が、むごたらしく積み重なる。震災直後、この地区では生死が隣り合わせとなった惨劇が繰り広げられていた。


奇跡のコースを意志女性

 燃え盛る家や車が、まるで生き物のように泳ぎ、自分を襲ってくるように見えた。
 古藤野正好さん(48)は地震後、石巻市内の勤務先から車で同市門脇町5丁目の自宅に戻った。「日和山に逃げよう」。両親を促した後、隣家のお年寄りをおぶって走りだした。
 その瞬間、背後で「ゴーッ」という大きな音。振り返ると、2階以上の「白い壁」が見えた。すぐ、津波にのみ込まれた。背中のお年寄りは、いつの間にか流されていた。午後3時40分ごろのことだ。
 がれきに乗って漂流していると、「ボン」という破裂音が聞こえ、辺りに赤い光が見え始めた。
 家やがれき、車が燃えながら迫ってくる。
 「焼け死にたくない」と濁流に飛び込んだ。流されている家財道具にしがみついたが、何度も振り落とされた。火の手があちこちで上がる中、消防団に救助された。
 辺りはもう夜のとばりが降りていた。高台に上がると、ごう音を立てて燃える建物が近くに見えた。門脇小だった。

 激震に襲われた門脇小。学校にいた児童約230人は校庭から墓地脇を抜ける階段を使い、日和山に避難した。日頃の避難訓練は津波を想定し、日和山に逃げることを鉄則としてきた。
 校庭にいた佐藤裕一郎教頭(58)は、住宅街の電柱が次々となぎ倒されるのを見た。津波が押し寄せてくることが分かった。校庭に避難していた住民約50人を校舎に誘導。間もなく、焦げた臭いと煙が漂ってきた。
 津波と火の手はすぐ近く。校庭からは逃げられない。職員は教壇を橋のように校舎裏の斜面に立てかけ、日和山方面へ逃げようと試みた。
 2階窓から脱出し、ひさしから教壇を渡した。地上からの高さは約2メートル。お年寄りも多かった。「山側に渡れば助かる。そう信じていた」と佐藤教頭。教職員と住民は手を取り合い、幅約1メートルの教壇を渡った。

 ◇幼稚園バスの最期(ソースはこの部分にタイトルはありません)◇

 上へ、上へ。住民が安全な場所を求めて日和山へ急ぐさなか、1台のワゴン車が日和山から門脇町、南浜町地区へ向かって走っていた。
 日和幼稚園の園児12人を乗せた送迎バス。地震直後に園を出発し、南浜町などを回り5人の子どもを降ろした後、避難者でごった返す門脇小校庭に停車した。
 「バスを戻せ」。当時の園長、斎藤紘一さん(66)の指示を受け、幼稚園から教員2人が小学校脇の階段を駆け下りた。バスに追いついたが、園児を連れ戻すことはなかった。
 バスは再び出発した。途中、迎えに来た母親に園児2人を引き渡した。日和山に通じる坂の上り口で、バスは津波にのまれ、流された家に押しつぶされた。
 門脇町・南浜町地区一帯はすっかり炎に包まれ、13日午後6時ごろまで燃え続けた。
 14日、バスに乗っていた5人の園児は変わり果てた姿で見つかった。
 蛇田の佐々木純さん(32)は次女明日香ちゃん(6)を亡くした。「奪われずに済む命だった」。現場に行くたび、切なさがこみ上げる。
 津波に襲われ、猛火に焼き尽くされた門脇町・南浜町地区。そこでどれだけの人が犠牲になったのか。震災から2カ月半たった今も、分かっていない。


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一方、フジテレビは6月14日、番組「とくダネ!」で日和幼稚園が保護者への説明会を行った時期に取材した映像を編集し放映した。その映像がYou Tubeに載っており、文字にしてみた

石巻、日和幼稚園、真夜中まで「助けてー!」
        と叫び続けるも救助されず <6月14日 フジテレビ>

 フジテレビ「とくダネ!」で放映

宮城県石巻市の幼稚園で送迎バスが津波にのまれ、園児5人が命を落としてしまいました。その遺族たちが今、ある疑問を抱いています。「なぜ幼稚園が地震後にバスを走らせたのか」遺族たちの闘いを見てみました。(以下取材映像が流れる)


人々は子供を持っていない理由

 宮城県石巻市門脇町。
 がれきの街の片隅に積み上げられた車がある。
 原形を留めていないほど焼き尽くされた車体。車は幼稚園の送迎バスだった。
 あの日、街を襲った津波は園児を乗せたバスを飲み込んだ。奪われたのは5人の幼い命。
〔ここで、西城春音ちゃん6歳の幼稚園での姿や佐々木明日香ちゃん(6)、佐藤愛梨ちゃん(6)の在りし日の映像が流れる〕
 佐々木明日香ちゃんの母親は言った。
 「一言で言ったら天真爛漫な子。太陽みたいな存在でした。『行ってきます』って言ってバスに乗って出て行って帰ってこなかったですからね。受け入れられないです」
 津波にのまれ、その後発生した火災で炎に包まれたバス。子どもたちは変わり果てた姿で発見された。
 「寂しかったね、怖かったねって、熱かったねって。津波にも遭ってるんで冷たかったねって、それしかなかったですね」
愛する子どもの突然の死。その辛い現実と向き合う日々。しかし、保護者たちは子供たちの死に、ある疑問を抱いていた。
「地震後なのに、バスが出たってことがまずおかしい。幼稚園は高台にあるので、幼稚園にさえ居させてくれれば何にも問題なかったと思っているんです、私たちは」
 石巻市の中心部にある日和山。日和幼稚園はその中腹にあり、津波の被害は無かった。地震発生時、園内にいた園児たちは全員無事だった。しかし、揺れが収まった後(約10~15分後)、バスは園児を乗せ出発したのだ。園児を保護者に引き渡そうと海沿いの街(海からの距離が約200㍍の地区も含めて)を走った。しかしその途中、渋滞で立ち往生。津波にのまれてしまった。
 なぜ幼稚園は地震後に高台から津波が来るかもしれない街へと向けてバスを出してしまったのか。
 「真実を知りたい」。その思いから遺族たちは他の保護者や幼稚園の先生へ独自の聞き取りを始めた。すると、ある事実が判明する。幼稚園には地震発生時のマニュアルがあった。そこには、「地震の震度が高く、災害が発生する恐れがある時は、園児は保護者のお迎えを待って引き渡すようにする」と記載されていた。

 なぜマニュアルは守られなかったのか。当時の園長は遺族に対し、こう説明したという。「当時はみぞれが降っていた。子供たちの寒そうで不安そうな表情を見て、一刻も早く保護者の元へ帰そうと思った」。
 さらに遺族は新たな疑問にたどり着く。バスの運転手は津波にのまれ意識を失ったものの、気が付くと車の外に投げ出されていて無事だった。運転手はその日、園に戻り、バスが流された場所を園長に伝えたが、救助活動は行われなかったというのだ。
 バスが発見された場所。その近所に住む人たちは、子供の声を聞いていた。
 「波が引いてから『助けて、助けて」って騒いでいた。まさか幼稚園の子供がいるとは思わないさ」
 「ところが、見えないの。そのバスが。がれきの下になっててね」
 深夜まで聞こえていたという子供たちの声。バスの中で助けを求めていたのだろうか。しかし、辺りはがれきで覆われていたため、近所の人たちが探し出すことが出来なかったという。


どのように多くのメソッドは、動物実験を置き換えることができますか?

 「何でそこに私を連れて行かなかったのか? もしかしたら私でも助けられたかもしれないし…」  津波から火災が発生するまで約10時間。救助活動が行われていればとの思いが、悔しさを募らせる。
 5月21日、遺族の求めに応じ、幼稚園が説明会を開いた。園児5人の遺族が出席、幼稚園側は理事、当時の園長、バス のい運転手、職員らが顔を揃えた。
 保護者(母親)「子供たちがそこにいる状況が分かってますよね。なぜ声掛けしてくれなかったのか」
 幼稚園:園長「私の頭の中は真っ白になったんだと思います」  5時間以上に及んだ説明会。そこでまた新たな事実が明らかになった。送迎バスが津波にのまれ、園児5人の命が奪われた宮城県石巻市の日和幼稚園。説明会で遺族側は、幼稚園がバスが 流された場所を知り、当時の園長が現場に行ったものの救助活動を行わなかった点を追求した。
 母親「子供たちがそこにいる状況が分かってますよね。なぜ声掛けしてくれなかったのか」
 園長「家と車と水があの状態において、私の頭の中は真っ白になったんだと思います」
 父親「救助活動も何もしていない。ただ見に行って『あーダメだ』、それで終わっちゃったんでしょ?」
 園長「はい。…」
そして、なぜ地震後にバスを走らせたのか? 防災マニュアルが生かされなかった理由とは?
 母親「ちゃんとしたもの(防災マニュアル)を職員全員に配布しているんですかね?」
 園長「私の書庫にファイルとして置いてあるので、職員には配布してません」
 母親「えっ 配布していないんですか?」
 園長「これは園長として申し訳ないと思っています」
 職員「私も入った時からずっとマニュアルの存在を知らなくて…」
 職員のほとんどが防災マニュアルの存在すら知らなかったことが浮き彫りに。
 母親「一瞬このまま(バスが)出てしまったらって不安も(あったはず)。でも、それをきちんと誰かに伝えないでしまって(こんなことに)…」
 園長「本当にお詫びするしかないです」
 5時間以上に及んだ説明会。自分たちの非を全面的に認めた幼稚園側は、遺族の言葉を敬って聞くことしかできなかった。佐藤さんが取り出したのは娘・愛梨ちゃんの写真。
 「私、すごくすごく、この子に会いたいんです。毎日毎日会いたくて、会いたくて。でも、会えないんです」
 今年4月、小学校に入学するはずだった愛梨ちゃん。部屋には使うことを楽しみにしていた新しい勉強机とランドセルが残されていた。救えなかった幼い命。子供たちは、もう帰らない。

 この放送の最後に、「お子さんを失ってしまったお父さん、お母さんは、もう二度とこういうことが起きないで欲しいという意味を込めて取材に応じてくださいました」との説明が添えられた。


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河北新報社は6月18日、自衛隊によるがれき撤去が進んだ被災現場で幼い命の証しを少しでも回収しようと遺品を探す母親らの様子を報じた

命の証しどこに 石巻・園児送迎バス被災  <6月18日 河北新報>

  母親ら遺品捜し

 宮城県石巻市の日和幼稚園の送迎バスが津波に巻き込まれ、園児5人が犠牲になった同市門脇町5丁目の事故現場付近で17日、園児の母親らが遺骨や遺品を捜した。
 自衛隊によるがれき撤去が進み、現場周辺にも重機が入ることになり、18日の百か日法要を前にあらためて遺品捜しをすることになった。
 遺族や友人たちは、震災直後に現場で組み立てた祭壇をいったん取り外した後、幼い命の証しを少しでも回収しようと、焼け焦げたがれきが残る付近の土を掘り起こした。5時間ほどの作業で、園児のものとみられるクレヨンなどが見つかった。
 長女愛梨ちゃん(6)を失った佐藤美香さん(36)=石巻市蛇田=は「私たちはあの日から時間が止まったまま。無理にでも区切りを付けなければならないとは思っていますが…」と話した。
 同幼稚園の送迎バスは地震直後、津波襲来を想定せずに高台にある園から海岸方面に出発。園に引き返す途中、津波に巻き込まれて横転、炎上し4~6歳の5人が犠牲になった。
 園児の遺体は3月14日に見つかったが、その後も母親らは、見つかっていない遺体の部位や、園から持ち帰るはずだった持ち物を捜すため、現場に通っていた。


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毎日新報社は8月10日、子供を失った遺族が幼稚園を提訴したと報じた

 宮城県石巻市で、日和幼稚園の送迎バスが大震災の津波に巻き込まれ園児5人(当時5~6歳)が死亡したのは園側が安全配慮を怠ったためだとして、園児4人の遺族が10日、園を運営する学校法人「長谷川学院」と当時の園長に計2億6680万円の損害賠償を求め、仙台地裁に提訴した。震災犠牲者の遺族が学校や幼稚園などの責任を問う訴訟は初めてとみられる。
  訴状によると、高台にある日和幼稚園は3月11日、地震発生約15分後の午後3時ごろ、園児を2台の送迎バスに乗せ発車させた。うち1台が沿岸部に向かい津波で横転した。バスは付近で発生した火災に巻き込まれ、園児5人は遺体で後日発見された。もう1台は運転手がラジオで大津波警報を知り、幼稚園に引き返し無事だった。

  遺族側は「園児は安全な高台から危険な場所へわざわざ連れて行かれた。地震直後の情報収集も怠った」と主張している。亡くなった西城春音ちゃん(当時6歳)の父靖之さん(42)は10日、仙台市内で会見し「裁判で真実を明らかにしてほしい。真実を知り得ない限り再発防止はあり得ない」と話した。園側の代理人弁護士は「訴状を見て対応していきたい」というコメントを発表� ��た。


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朝日新報社も8月10日、子供を失った遺族が幼稚園を提訴したことと園長へのインタビュー記事さらに、地震後に園児を送り届けようと高台の幼稚園から海岸地帯へ向けて出発したバスルートのマップとともに報じた

津波で送迎バスの園児死亡、4遺族が園側提訴  <8月10日 朝日新聞>

 津波で送迎バスの園児死亡、4遺族が園側提訴

 宮城県石巻市の私立日和(ひより)幼稚園の送迎バスが津波に巻き込まれ、園児5人が死亡した事故で、4遺族は10日、園側の対応に問題があったとして、園を運営する学校法人「長谷川学院」と当時の園長に対し、計2億6690万円の損害賠償を求める訴えを仙台地裁に起こした。震災後、避難誘導をめぐって遺族らが学校や園側の責任を問う訴訟は初めて。被災地では、避難誘導などに問題があったとして学校側の責任を問う動きが広がっている。

 提訴したのは佐藤愛梨(あいり)ちゃん、佐々木明日香(あすか)ちゃん、西城春音(はるね)ちゃん(いずれも当時6)、男児(当時5)の父母8人。

 訴状などによると、バスは3月11日、大津波警報発令後の午後3時ごろ、園児らを自宅に帰すため、高台にある園を出発。海辺の住宅街を回って園に戻る途中の坂道で渋滞に遭い、津波と火災に見舞われて女児4人、男児1人が死亡、添乗員の女性が行方不明となった。

 遺族側は「園は警報で津波の危険性を予見できたのに、被害を受ける可能性が高い海側にバスを走らせた」「地震時のマニュアルを周知せず、避難訓練も実施しなかった」などと主張。これに対し、園側の代理人弁護士は「大津波が来るとは予想できず、園に責任はない」などとして争う構えだ。

 提訴後、原告らが記者会見した。愛梨ちゃんの母美香さん(36)は「こんなことは二度と起こって欲しくない。こういう思いをするのは私たちだけでたくさんです」。春音ちゃんの父靖之(やすし)さん(42)は「真実を明らかにしなければ、再発防止はあり得ない」と話した。

 被災地では、宮城県山元町の常磐山元自動車学校の送迎バスが津波に巻き込まれ教習生25人が死亡した事故で、遺族らが学校側に損害賠償請求訴訟を起こす準備を進めている。児童74人が死亡・行方不明となった石巻市立大川小学校の遺族からも、学校側の責任を問う声が上がっている。

     ◇

 私立日和(ひより)幼稚園の当時の園長(3月末で退職)が朝日新聞の取材に応じた。主なやりとりは次の通り。

――園のマニュアルには保護者の迎えを待って園児を引き渡すことになっている。なぜ迎えを待たずにバスを出発させたのか。

 雨やみぞれが降り、風が吹いていた。地震が収まったので、子どもの様子を見て、親元に早く帰したいと判断した。申し訳ないと感じている。

――津波が来るとは思わなかったのか。

 バスが出発した時は、思わなかった。その後、警報を聞き、運転手に電話をしたり、職員を迎えに行かせたりしたが、ここまで大きな津波とは思わなかった。

――バスが被災した場所は知っていたのか。

 もちろん。

――すぐ救助に向かわなかったのはなぜか。

 全職員を連れて行き、捜すというのも考えられたが、周囲は2階建ての家が覆いかぶさり、車が何台もあり、水も高いところまで来ていた。「あきらめるのが早い」とお叱りをいただいたが、惨状を見てパニックになってしまった。


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河北新報社もKolnetで8月10日、遺族が園側を提訴したとの記事を載せたが、翌8月11日の朝刊紙面で、遺族の記者会見の内容も含めて報じた。こちらを紹介する

「4遺族、園を提訴」安全配慮義務怠る     <8月11日 河北新報>

 「安全配慮義務怠る」

 東日本大震災で石巻市の日和幼稚園の送迎バスが津波に巻き込まれ、4~6歳の園児5人が亡くなった事故で、園側の対応に安全配慮義務違反があったとして、園児4人の遺族は10日、園を経営する学校法人長谷川学院と元園長に約2億6700万円の損害賠償を求める訴えを仙台地裁に起こした。
  震災の犠牲者の遺族が、管理責任をめぐって訴訟を起こしたのは初めてとみられる。
 訴えによると、バスは3月11日午後3時ごろ、園児12人を乗せて海に近い石巻市南浜町方面に向けて出発。7人を降ろして園に引き返す途中の同3時45分ごろ、門脇町付近で津波に巻き込まれ、乗っていた園児5人は死亡した。
 園側の対応の問題点について、遺族側は(1)地震後の情報収集を怠り、バスを高台にある園から津波の危険がある海側へ走らせた(2)園職員が停車したバスに追い付いたのに園児を高台に避難させなかった(3)地震時のマニュアルを職員に周知せず、避難訓練もしていない―などと主張している。
 園側は、これまでの遺族とのやりとりで「南浜町を破壊するような津波の予測は不可能だった。一般論としては遺族の指摘の通りだが、法的責任はない」などと説明。園側の代理人は「訴状を見て対応したい」としている。

◇遺族会見「心からの謝罪欲しい」◇

 日和幼稚園の園児の遺族らは提訴後、仙台市内で記者会見した。制服姿でほほ笑む子の遺影を前に、やりきれない思いを語った。
 「園の心からの謝罪が欲しい。起きたことを隠さず、教えてもらいたい」
 長女愛梨ちゃん(6)を失った佐藤美香さん(36)は沈痛な面持ちで訴えた。遺族側は代理人を通じ、園側と和解に向けたやりとりを進めたが、実を結ばなかった。
 少しでも真相に近づこうと、他の保護者や地元の住民を訪ね歩き、証言や情報を集めてきた。
 次女張音ちゃん(6)が犠牲になった西城靖之さん(42)は「真相を知らない限り、再発防止はあり得ない」と強調。「真相を明らかにし、全国の親や教育関係者に少しでも何かを考え、子供を守ってもらうきっかけにしたい。それが、亡くなった娘に対して(最後に)してあげられることだ」と声を詰まらせた。
 

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